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  • 2024年11月27日
  • PRノウハウ 、セミナーレポート

旭酒造 桜井会長に聞く、「獺祭」ブランドを創り上げた思想とは

2024年10月11日、当社が主催するPRカンファレンス「BILCOM DAY 2024」を開催しました。今回は、BILCOM DAY 2024内で行ったトップ対談「旭酒造 桜井会長に聞く、『獺祭』ブランドを創り上げた思想とは」のセミナーレポートをお届けします。

 

■ゲスト

旭酒造 桜井博志 氏

旭酒造株式会社会長。 1950年山口県生まれ。 1973年松山大学卒業後、西宮酒造で修業を経て1976年に旭酒造に入社するが退社。 1984年に父の急逝を受けて復帰し、純米大吟醸「獺祭」の開発を軸に経営再建を果たす。2016年から現職。

 

■モデレーター

ビルコム株式会社 代表取締役兼CEO 太田 滋

経営管理博士。2003年にビルコム株式会社を創業。市場創造と評判形成に貢献する次世代PRを掲げ、マスメディア、Web、SNSを含めた統合的なコミュニケーション戦略を手掛ける。2020年〜21年には、青山学院大学大学院国際マネジメント研究科にて寄付講座を実施。

 

逆境からのスタート。獺祭誕生のきっかけ

太田:このセッションのモデレーターを務めさせていただきます。よろしくお願いいたします。ご登壇いただくのは、旭酒造の桜井会長です。旭酒造さんは、日本酒の中でも名高い銘柄である「獺祭」を造っている蔵元です。本日は、獺祭ブランドを創り上げた桜井会長の思想について深堀してお伺いします。桜井会長、よろしくお願いいたします。

桜井:今日はビジネスでの失敗談なども交えながらお話しできればと思います。よろしくお願いいたします。

太田:本日は5つのテーマに沿ってお話を伺います。最初のテーマは「逆境からのスタート」です。今から40年前に桜井会長が社長に就任された経緯や旭酒造様の当時の状況、獺祭が誕生したきっかけについてお聞かせいただけますでしょうか。

桜井:私は1984年に父が他界したことがきっかけで、三代目社長に就任しました。就任した当時、日本酒業界は衰退していたのですが、就任するまで業界の傾向を把握していませんでした。当社の売り上げが過去10年間で3分の1になっていたことを就任後初めて知り、頭を抱える状況の中スタートしました。当時は旭酒造の主力銘柄であった旭富士を販売していましたが、思うように売れず、価格を下げたりおまけをつけたりとさまざまな施策を行うも厳しい状況が続いていました。商品も取引先もお客様も変わっていないのに、このまま同じ施策を続けていても売れるわけがないと思い、我々のような小さな酒蔵だからこそできることは何かを考えました。そこで、大量販売ではなく少量でも愛される日本酒を造ろうと決意し、純米吟醸酒を造り始めたところ少し日の目を見るようになったのです。もしかしたら東京でも売れるかもしれないと希望が見えたものの、銘柄が旭富士のままでは東京へ進出しても売れないと思い、新たな銘柄として売り出すために獺祭と名付けました。

太田:獺祭は漢字が難しいですよね。この名前にはどのような由来があるのでしょうか?

桜井:我々の酒蔵は、現在岩国市になりましたが、山口県玖珂郡周東町獺越にあります。獺(かわうそ)を超えると書いて「おそごえ」と読むのですが、獺という漢字は難しくて読めませんよね。ある時獺の字を見た時に、ふと中国語の獺祭という言葉を思い出したのです。獺は捕った魚を供物のように並べるそうで、中国では文章を作る際に故事や格言をやたらに引用することを獺祭と言うそうです。また、明治の日本文学に革命を起こしたと言われている正岡子規は、自らを「獺祭書屋主人」と号しています。伝統や手造りという言葉に安住することなく、変革と革新の中からより優れた酒を創り出そうという想いを込めて、地名にもある獺の漢字を使った「獺祭」と命名しました。

太田:なるほど。こうして獺祭が誕生したのですね。獺祭は山田錦という米を使って造られた純米大吟醸だそうですが、当時純米大吟醸は主流だったのでしょうか?

桜井:純米大吟醸は米と米麹と水だけを使って造られており、米の精米歩合(玄米から表層部を削り、残った米の割合を%で表したもの)が50%以下のものを純米大吟醸と言います。1984年から1990年にかけての当時は、純米大吟醸が市場に受け入れられるか、お客様が飲んでくれるのか、量産して商品化できる技術があるか、全く確信がありませんでした。ほかの酒蔵であればさまざまな銘柄を扱っているため、別の商品を売るといった選択肢がありますが、我々は旭富士が売れない状況の中、新たに造った純米大吟醸に望みをかけるしか方法がありませんでした。売るしかないという気持ちが飛躍のための大きな原動力になっていました。

太田:当時は非常に大変な状況だったと思いますが、旭富士が売れていれば獺祭は誕生していないのですね。純米大吟醸は手間もコストもかかるのではないですか?

桜井:そうですね。最初は旭富士で純米大吟醸を造ってみたのですが、さらにそこから別のものを造ってみようと思い、獺祭が生まれました。当時から大吟醸という考え方はあったのですが、製造過程でアルコール添加した方がお酒に香りが出るため、アルコール添加する手法が当たり前だと考えられていました。しかし私は純米にこだわり、今までの製造方法と真逆のことを始めました。今までの常識を覆すような発想は手間も時間もコストもかかりますし、勝ち組であればきっとしていません。逆境の環境に身を置いていたからこそ挑戦できたことだと思っています。

 

誰もが酒造りを行える環境を作りたい。酒造りにおける「データと人」

太田:これまでの慣習にとらわれず、新たなことに取り組まれたことが理解できました。2つ目のテーマは「データと人」です。我々が所属するマーケティング、ブランディング、PRの職種では、データで管理する部分と、感性で行う部分があると考えています。日本酒造りというと、職人の方の経験や感性で行われているイメージがあったのですが、桜井会長はデータと数字を酒造りで活用されたそうですね。

桜井:酒造りには、かつては属人化されており職人の感性や勘で造っている部分がありました。しかし、デジタル機器が普及したことで、温度差や重量などを簡単にデータ化でき、そのデータを用いて社内で共有することができるようになりました。こうしたデータ活用のきっかけとなったのが、当時いた杜氏(とうじ:酒造りの最高責任者)の退職です。経験豊かな杜氏がいなくなってしまったため、私が代わりに酒造りにおける分析を行っていましたが、多忙で手が回らなくなってしまいました。そこで、経験の浅い社員に分析をお願いすることにしたのです。アルコールの温度を変えることや重量を変えることなど、データ化して皆が共有できる環境を構築すれば、誰もが分析を行え、経験が浅い社員であっても酒造りが行えることに気づきました。酒造業界では一般的に経験値や勘のようなものを重視していましたが、我々は勘よりも実際の分析数値を大事にするようになりました。

太田:なるほど。日本酒を造る工程がスライドで出ていますが、この工程の中には人間が行う部分と機械が行う部分があると思います。その中でどのようにデータを管理して活用していくのでしょうか。

桜井:大枠はデータで決めて、最後は人間が行うことが重要だと考えています。例えば、精米は機械でしますが、精米後の白米を洗米過程に持っていく際に、持っていき方ひとつで米の状態が変わります。こうしたことから、データや機械のみで酒造りは行えないと考えています。温度管理や重量などはデータで管理し、細かい調整は人の手で行うことが大切です。

太田:お話を伺っていて、我々の行っているPRやマーケティングにも通じるものを感じました。私たちは生活者の方が何をどう考えているのか、調査を行うことがあります。標本数を定めて行う場合もありますし、n1分析といったひとりの欲求を深く掘り下げて行う場合もあります。こうした調査からデータだけを抽出しても何も生まれません。データを見て、その人がどう解釈したか、判断したのかを考えるのはやはり人の力です。酒造りにおいても、どうおいしさにつなげていくのかといった最終的な部分は人の力が重要です。マーケティングの仕事とお酒を造る仕事には共通している部分がありますね。

桜井:そうかもしれませんね。山口県の地場産業について指導する工業技術センターの方からは、どうして純米大吟醸にこだわって造るのかと何度も指導されました。マーケティングデータやアンケート結果を見ると、消費者は色のついた酒を好む傾向があるのに、純米大吟醸を造る意味はあるのかと。データと逆行しているからですよね。それでもおいしいから造りたいという気持ちと、純米大吟醸を造ったことで少しずつお客様からの評価をいただいた成功体験から、純米大吟醸に特化しようと決意しました。いい商品であれば必ず結果は出ると思います。外部環境のせいにするのではなく、自分たちに変革をもたらすことが重要だと考えました。

 

伝統を変える。四季醸造への挑戦 

太田:ありがとうございます。伝統を守ることと新しく変えることに取り組まれてきたのですね。旭酒造では四季醸造に取り組まれたと伺いました。日本酒は冬に仕込むといったイメージがありますが、すべての季節に醸造することは可能なのでしょうか?

桜井:当時、どの酒蔵でも杜氏が酒造りを担っていましたが、一般的に杜氏はその会社の社員ではなく、夏は農業などをされて冬場のみ酒蔵へ出向いて酒造りを行います。そのため日本酒は冬に仕込むもの、という伝統ができていたのです。先程もお話した通り、当社では杜氏が去ってから社員で酒造りを行っていましたし、データで製造過程も管理していたので、温度管理さえきちんとすれば、冬以外にも酒が造れます。日本酒は、気温の低い冬に造り春先に出荷するのが主流ですが、そうしていると、夏の蔵は無駄な施設になってしまいます。冬場だけ造るより、1年間行う方が緊張の糸も切れませんし、酒も良くなっていきます。コストも圧倒的に下がると考え、四季醸造に取り組みました。

太田:冬場に造っていたものを年中造るとなると、温度管理が非常に重要だと思うのですが、そのためにはある程度の設備投資をされたのでしょうか。

桜井:今の日本の空調管理の技術水準から考えると可能ではありますが、真冬に近い環境の部屋の中に暖かい部屋を作って酒を造りたいという希望は、常識では考えられないことですよね。町場の配管業や空調機業者の方々の技術が素晴らしかったことで実現した設備と手法だと思っています。

太田:素晴らしいご縁ですね。もうひとつ伝統を変えたこととして、獺祭は問屋を通さず、直接取引のある小売店で販売されています。これには何か理由がありますか?

桜井:一番の理由は獺祭ブランドを守るためです。問屋を通すことで、大手流通企業から値下げを求められることもあれば、店舗のニーズに合わない仕入れをすることに対して疑問を持つこともありました。店舗直販に切り替えることで、冷蔵保管や早めに飲み切るなど美味しい飲み方を理解している小売店に販売できますし、品質を保証することもできます。私は、獺祭が好きで当社のフィロソフィーを理解してくださる方と一緒に獺祭ブランドを育てていきたいと考えています。現在では全国700店以上と取引させていただいています。

太田:すごく画期的ですね。先程、おいしいから純米大吟醸を造りたいとこだわりをもって造られたというお話がありましたが、1990年に獺祭が誕生し、1992年には米を77%削った 「磨き二割三分獺祭」が発売されました。獺祭を造るための酒米である山田錦を77%磨いて造るということですが、ここにもこだわりが感じられます。

桜井:発売してすぐ、米をそんなに磨いて何の意味があるのかと官庁や業界などさまざまな方から言われました。しかし私は精米して磨くことに意味があると思っています。磨き二割三分獺祭は、飲んで最初の一杯二杯は他の日本酒と変わらないのですが、米をよく磨いているので綺麗で軽く、奥深い美味しさを味わっていただけます。飲み進めると、他の日本酒との違いを感じていただけると思います。

太田:私は桜井会長との対談が決まってから社員と一緒に磨き二割三分獺祭を飲ませていただきましたが、今まで思っていた日本酒の感覚が覆りました。フルーティーで軽やかで、非常に飲みやすかったです。本日ご来場の皆さまにも、後ほどご賞味いただきたいと思います。

 

日本からさらに大きな市場へ。海外展開への挑戦

太田:次のテーマは海外への挑戦です。獺祭はパリ、ニューヨークと海外展開をされていますが、何かきっかけがあったのでしょうか。

桜井:日本市場からさらに上を目指すとなると、海外へ進出してさらに大きなマーケットへ進出する方が獺祭にとって有利だと考えました。獺祭は山口県で販売後、東京に進出しましたが、店舗直販なのでシェア競争では勝てません。大きな市場の中で売上を立てることが成功体験になります。マーケットを広げるために海外展開を行うことはすごく自然な流れでした。

パリは食の最高峰の舞台ですし、いつかフランスの方に獺祭を飲んでいただきたいと考えていました。そんな中、獺祭を知っていたジョエル・ロブション氏からコラボレーションのお話をいただきました。こうして、2018年に新しい食文化を生み出す店舗として「Dassaï Joël Robuchon」をオープンしました。

その後、ニューヨークに酒蔵を構え、2023年9月からNYで「DASSAI BLUE」の発売を開始しています。

太田:海外展開をする場合、その国のニーズや生活者のインサイト、生活習慣に合わせてプロダクト自体をローカライズさせて変えるという考え方もあれば、プロダクト自体はそのまま持っていくという考え方もありますよね。獺祭の場合は、ローカライズさせず獺祭そのものを持ち込むという考え方ですが、これはどのような意図がありましたか?

桜井:私はローカライズした方が有利な商品もあれば、そのままの方が有利な商品もあると考えています。獺祭は和食だけでなく、さまざまな料理との相性がいいと思っています。そのため、そのまま海外市場にマーケットを広げても勝算はあると考えましたし、日本酒がワインやシャンパンと肩を並べるために、そのままの獺祭で勝負したいと思っています。

太田:なるほど。最後に桜井会長が獺祭をグローバルブランドにするために大切にしていることや今後のビジョンをお聞かせください。

桜井:1番はお客様が幸せになることです。そのためには、我々がおいしい酒を造ってお客様に喜んでいただきたいと考えています。私が純米大吟醸にこだわって酒造りを行っていたのは、本当においしい酒を造りたいという想いからです。逆境の中、味を追求してここまできましたが、本当においしければ必ず結果は出ます。自分たちを信じて、お客様においしいと言ってもらうための顧客志向を忘れないことが重要です。そして、世界中で日本酒が愛されるようになってほしいと願っています。そのためには、おいしい酒を造り続け、世界の獺祭と言われるブランドへと成長していきたいですね。

太田:素晴らしいですね。業界の慣習にとらわれずに、顧客志向を追求するといった熱い志を感じました。桜井会長、本日は貴重なお話をありがとうございました。

 

 

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書き手:コーポレートコミュニケーション局 川島弓奈

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